1989年1月
見れる、 出れる、食べれる、といった妙な日本語をアナウンサーまでが時々使っている。「られる」を使うと、敬語と紛らわしいというのは嘘。見られる、出られる、は役所ことばから派生した男社会の敬語で、ご覧になる、お出ましになる、召し上がる、が正しい。母親が父親に「まことォ、ビール飲むゥ?」などと言わずに、「あなたもビール召し上がる?」と言っていれば、子ども達のことばも、世の中のことばも、乱れることはない。
はしれクラウス
ドイツ生まれの蒸気機関車クラウス17号が、日本で、一世紀近くも走り続けたという、ノンフィクション物語。
事実だけを淡々と述べているにすぎないのに、そこには、人間の一生を見るようなストーリーがある。
地味な絵本なのに読む人をひきつけずにはおかないのは蒸気機関車自体の魅力もあるのだろうか。
ふじさわともいちのこの絵は、デッサンにところどころ色がさしてあるだけなのだが主人公であるクラウスの力強さや悲しみが、見る人の心に伝わってくる。
機関車の好きな子ども達にはもちろん、大人にとっても懐かしく、たびたび取り出しては読み返したくなる本である。
テディ・ベアものがたり
子猫ならキティ、子犬ならドギィと子ども達が呼ぶように、子熊のことをテディというのだと思いたくなるほど、今ではポピュラーな呼び名だが、テディ・ベアとは、正しくはぬいぐるみの、しかも、特定のキャラクターだったということが、やっとはっきりした。
これは副題の通り"大統領の名前をもらった子ぐまの話"で、ルーズベルト大統領がどうやって子熊と出会い、どうしてそれがぬいぐるみになったか、が語られている。
それにしても各国のトップは、いつでも童話の主人公になれるような、正義感にあふれた人物であってほしい。
仙人になる方法
ぎっくり腰で働けなくなった父親の代わりに家の生計を担っている少年李少君は、市場で瀬戸物を売っているが、気が弱いばっかりにいじめっ子達に仕事の邪魔をされる。
そんなある日、薄汚い老人が落とした黄金入りの革袋を拾い、その老人が仙人であると信じて弟子入りを決意するのだが......。
後書の「仙人に宛てた手紙」の中で著者は、「近ごろとんと噂を聞かなくなった仙人の話を書きたかった」と語っているが、この手紙がいい。
この物語の中の「努力すれば報われる」という道徳臭が、この手紙と、本文の軽やかな文体のおかげで和らげられ、楽しい読み物になっている。
太田大八の絵も洒脱で、特に虎が素晴しい。
ゆきと弥助―紙すきのうた―
和紙という日本の伝統文化を主題にした清烈なラブロマンス。
本嫌いな子には、多少読みづらいが、和紙の歴史的背景を知るためにも良い本である。