1988年11月

 日本の子ども達の間に長電話が悪習として定着して久しいが、驚いたことに、長電話はお話中になって家族に迷惑だからと、子どもにテレフォンカードを持たせて公衆電話からかけさせる親がいる。かけられる家の人の迷惑や、本来緊急用である公衆電話を独占する罪については、親自身が何も感じないらしい。
 近ごろ、家でも学校でも、公のものを大切にする教育が欠けている。図書館の本の扱いの乱暴さもそれである。

まるちゃんのたからもの

『ふしぎな くるま』『ふしぎな プロペラ』『ふしぎな ほし』の三部作。
 よく見れば主人公はただの丸に、目、ロ、髪の毛、手足をつけただけの、文字通りの"まるちゃん"なのだが、どんな写実的な絵より表情が豊かで明るい。
 まるちゃんは、三つの宝物を持っている。
「きゅるきゅる」と言うと走る車と、「ぶるるん」と言うと飛び上がるプロペラと、「ぴかっ」と言うと光ったりお化けを出したりする星。
 まるちゃんは眠っている蛇に出合っても、驚きも怖がりもせず、静かに通り過ぎる。
 こんなところにも、子どもに大人の価値観を押しつけまい、とするこの作者の教育観が見られる。母親たるもの、見習いたいものである。


わがままな大男

 わがままな大男が七年ぶりに家に帰ってみると、庭で大勢の子ども達が遊んでいたので、立入禁止の札を立てて、子ども達を締め出してしまう。
 子どものいない庭には冬が居座り、村中が春になっても、雪と北風が吹き荒れる。
 塀の穴からもぐりこんだ子ども達のお陰で春になるのだが、大男のお気に入りの小さな男の子だけがやってこない。
 あのオスカー・ワイルドの作品にツヴェルガーの絵で、数々の賞を得た。心に何かを残してくれる絵本である。


九百人のお祖母さん

 特殊調査員のセランは遠征隊の一員として、有望な市場になりそうな星、ブロアヴィタスにやってくる。
 この星の文化を調べると、年寄りは一人も死なないという。つまり、この星の始めから生き続けているのだ。どこに?
 という表題の第一話のほかに二十話、いずれもピリッと短くまとまって、ほかの作者とはひと味違う、変わった作品になっている。
 ユーモアがあって、幻想的で、それでいて、読み終わってから何となくゾッとする。
 大酒飲みの電気技師だったという作者像がうなづける。


ないた赤おに

 昭和初期に発表された作品が、淡い色彩と巧みな構図の絵でよみがえった。
 当時のままの折り目正しい日本語が、今、新鮮で美しく、鬼の友情に涙がこぼれる。