1988年1月
日本語は美しい。身についた母国語だというばかりでなく、日本的な感覚を思い通りに表現できる。英語も仏語も美しい。が、ことばの響きが最も美しいのは、その国の人が自分の心で語る時である。翻訳の難しさはここにある。異質な文化を自分のことばで語らなければならぬからである。帰国児の日本語が不自然になりやすいのも無理からぬことだが、いわゆる翻訳調の本は避け、良い本を美しい母国語で読み聞かせてやりたい。
ねずみのいえさがし
『ねずみのいえさがし』『ねずみのともだちさがし』『よかったねねずみさん』の三冊からなる絵本。
写真を使った絵本で、短いお話になっているのだが、ことばと写真が互いに助け合ってこの本を見やすく分かりやすくしている。
三冊とも物語の背景が身近なものなので、小さな子ども達にも親しみやすい。ねずみ達の表情も豊かで、動きのある本である。
私の横で邪魔をしていた七歳になる息子が、さっと読んで「こんな家を作ってあげるから、ねずみを飼って!」とさっそく言い出した。
ちいさな星の子と山ねこ
いつも月のかあさんのそばにいたちいさな星の子は、緑のマントをもらって地球に飛んだ。バッタや魚達とすぐに仲良くなり、山ねこに会っても「おかあさーん、ぼく山ねことともだちになったよー」と疑わないが、山ねこにとびかかられてマントが破けてしまう。マントなしでは帰れないからさあ大変。
真の優しさとは、を考えさせる物語だが、作者の明るい絵が、話をいっそうほのぼのとしたものにしている。
山ねこのような嫌われ者も、星の子の無邪気さの前にはつい優しさを出してしまう。海外で真の友情に恵まれやすいのは、むき出しになった子どもの心が人間本来の優しさを引き出すからかもしれない。
だから、ぼくは強いクマなんだ
マルティンはもう少しで九歳になる少年。学校から帰ると、いつもインディアンごっこで遊んでいる。仲間達は本当のインディアンみたいな名前を持っていて、マルティンも「強いクマ」という勇敢なインディアン名を自分でつけたのだが、「チビ」としか呼んでもらえない。
ところがある日、父親と二人きりで登った山で、悪天候に見まわれ、大けがをした父親を勇気を出して助けて以来、仲間達から「強いクマ」と呼ばれるようになった。
山登りを通じての父と子の心の触れ合いが、素直なことばで書かれていて、読む人を暖かい気持ちにさせる。子どもはもちろん、父親にも読んでもらいたい一冊。
かみとあそぼう
紙細工の楽しさを知った子は幸せである。指先をよく使うので、自分で工夫できる子に育つ。
"動物の箱"は小学生がすぐに作りたがるだろう。
平仮名で書かれている説明や、大きめの型紙も子どもに分かりやすい。
日本の子どもの遊び方が伝わる本。