1987年5月

 国際結婚した某女優が「子どもをバイリンガルにするには、日本語と英語の区別がつかぬうちに教えるのが良い」と語っていた。
 言語教育は確かに早い方が良いが、区別がつかぬように、とは、ひどい間違いである。一方の言語を母国語として主導させなければ、国際人どころか、自分をことばで表現できぬ人に育ってしまう。
 母国語の習得度が高いほど、ほかの言語の習得が容易で確実なのは、既に学問的に立証された事実である。

3びきのこぶた (美しい数学 (6))

 これは、誰もが知っている「三匹の子ぶた」ではない。ちょっと変わった数学の本である。おおかみのソクラテスは、奥さんのクサンチッペに食べさせるために、野原で遊んでいる三匹の子ぶたを捕まえようとする。が、はてさて、どうしたら五軒の家のどこかで眠っている三匹の子ぶたを捕まえることができるか?そこでソクラテスは、かえるのピタゴラスといっしょに考えるのだが、これがどうして、なかなか難しいのである。
 これは数学の順列組合せの問題なのだが、計算のスピードやテクニックが重視されている現在の学校教育で見失われている「なぜこうなるのか」という思考の過程を、安野光雅の楽しい絵と共に、分かりやすく説いている。


さかなにのまれたヨナのはなし

 イスラエルの予言者ヨナは神に「敵国ニネベに行け」と命じられるが、敵国が栄えるのを嫌って、そのことばにそむき、神の怒りに触れる。しかし、罪を悔いて神に祈ると許され、ニネベの町へ行き、神のことばを人々に伝える。神のことばを聞いた人々は正しい生活をするようになり、ニネベの町は栄える、という欧米では誰もが知っている旧約聖書からのお話を絵本にしたもの。英国人ハットンによる表情豊かな挿絵が、物語をより楽しいものにしている。
 聖書を知らない日本の子どもには理解しにくいところもあるかもしれないが、この本は聖書に親しむ良いきっかけにもなることだろう。
 ほかの宗教を知ることは、異文化を知る良い手がかりである。


かあさんは魔女じゃない

 何かとても薄気味悪い感じで始まるこの物語は、十五、六世紀にヨーロッパで実際に行われていた魔女裁判の話である。自分の母親が偽りの告白によって火あぶりにされた少年エスベンの心境を思うだけで胸が痛くなるが、世のはみだし者のハンスとの出会いでホッとする。が、それも束の間......。
 こんな残酷なことがほんとうに行われたとは信じたくないが、人権尊重が重視されているはずの今でさえ、人間が弱さを持つかぎり世界のどこかで同じようなことが行われているのではないかと考えさせられる。


いまはむかし さかえるかえるのものがたり

 初夏の風物、かえる。かえるづくしのこの本で日本語のおもしろさを再発見したり、絵巻物の数ページに子ども達の目は釘づけになることだろう。かえるの表情と、ことばのリズムが楽しい一冊。