1985年6月
子どもに与える本の影響はさまざまな形で現れるが、一番単純なのが主人公にふんするゴッコ遊びである。『ロビンフッド』を読んでは松の木に登って手製の弓矢で猫を狙う私に、兄は「これは真似するなよ」と念を押して『赤毛のアン』を手渡してくれたのだが、ギルバートを石版で殴るアンの姿に感激した私は、重い学生鞄を石版代わりにしてS君の頭に打ちおろしたものだった。子どもの性格をよく見極めて本を与えないと、思いがけない結果を生むことになる。
子そだてゆうれい
怖くないおばけの話、と言っても、近ごろはやりのユーモアおばけではない。
六晩続けて一文ずつ飴を買いにくる若い女の人が、七日目の晩、お金がないから、と片袖をちぎって飴にかえて帰っていった。不審に思った飴屋が後をつけると、その女の人はお墓の中に消え、中から赤ん坊の泣き声が聞こえる。和尚さんと飴屋がお墓を開けてみると......。
死んでからも赤ん坊を育てようとする若い母親の深い愛情が、怖いばかりのゆうれい話を一味変えたものにしている。若山憲の絵も、怖さと温かさを共に描き出している。
かみさまへのてがみ
この本を読むと日本人と日本人の神様(?)と、アメリカ人とアメリカ人の神様との付き合い方の相違を考えさせられる。宗教心とか宗教と生活という視点もあろうが、日本の親はもっと見えないものを信ずると言うことを子どもに教え示さなければいけない、と自省させられる。
「あなたもヘブライごならうのに、ぼくとおなじくらいくろうしましたか?」と聞くジェロームや「ちかごろ新しいどうぶつをはつめいしないのはなぜなの?いまいるのはみんなふるいのばっかりだよ」というジョニィは、心豊かな大人に育つに違いない。
影との戦い―ゲド戦記 1
魔法や妖精の好きな子にとっては、本格的な魔法使いものだが、冒険小説の好きな子にも見逃せない本である。
この本は最高位の魔法使いとなるべく生まれついた少年ゲドが、さまざまな苦難を乗り越えて成長していく過程を描く『ゲド戦記』の第一巻である。
高度の魔法を使う力がまだ備わっていないゲドが、高慢や嫉妬といった自分の未熟な心の隙間から生まれた"影"に追われ、やがて逆に追いつめて影と一体になるまで、身も心も成長していく。
読者もゲドと共に、知識と技術だけあっても、ほんとうの意味での大人にはなれないことを悟るだろう。
子ども落語 1
編者の柳亭燕路自身が落語家であることから語り口もよく、子どもが無理なく覚えられるように、と一話が五分ずつにまとめられている。
ことばの習得には、よい文章の丸暗記が早道。ともすればこなれない日本語を話す国際児にとって、何よりの教科書かもしれない。