1985年5月

 どんなにまずい離乳食でも、自分が一口食べてみてから子どもに与えるのが母親と言うものだが、「うちの子、このごろ話もしないのよ」と、子どもの本のことになると、自分が読もうともせず、我が子の心をつかめないことを嘆く。子どもの本は面白くないと言う人もいるが、読んでみると小さなことに悩んだり、胸を痛めた幼い日々を思い出したりする。親子で同じ本を読むことを大事にしたい。

おにさんこちら てのなるほうへ

 この本にはほとんど文字がない。字のない絵本のページをくりながら、子どもはちゃんと物語を作ってゆく。
 オニになった小さい子が、誰もつかまえられずにベソをかいているのを見た鬼の子が、「おにさんこちら」とわざと飛び出していってつかまってやる、というストーリー。絵を見ながら子どもがつぶやくに違いない一言を、母親はそっと書きとめておくのもいいだろう。
 シリーズとして同じ作者の『もういいかい』『かげふみ』があり、いずれもほんのりと暖かい絵本である。


ぼくは王さま

 ここに出てくる王様は、ぜひ友達になって面倒を見てあげなければ、と誰もが思うような王様である。この巻には四つの話が書かれているが、三番目の"ウソとホントの宝石ばこ"では、王様がウソをつくたびに宝石箱にためておくものだから、入りきらなくなった宝石箱がこわれ、ホントのことしか言えなくなってしまう。
 王様のくせにニンジンが嫌いだったり、歯みがきをさぼったり、つい嘘をついてしまったりする人間味が、小さい読者をひきつけずにはおかない。


はてしない物語

 これは最近映画化され、日本でも封切られたが、どんな文学作品であっても必ず本を先に読んで心の中にその世界を描いてから映画を見せるようにしないと、良い文学を味わい損ねる。映画の印象が強すぎて、後からでは自分なりの解釈ができなくなってしまう恐れがあるからである。特にこれはファンタジーのフルコースのような作品で、読者の頭の中に次から次へと夢の国が展開する。
 主人公の少年バスチアンは本の虫だが、この本『はてしない物語』に出会い、読みふける。すると不思議なことに、物語の登場人物が、物語の世界にバスチアンが入ってくることを待ち望んでいる様子が書かれている。バスチアンが物語りに入って行かなければ、この世の中が嘘と偽りの世界になってしまうという。物語の世界に飛び込む方法までしりながら勇気が出ないバスチアンのために、本の中の賢者はこの『はてしない物語』を最初から読み始める。すると、バスチアンは......。
 原作はドイツ語だが、Puffinから英語版が出た。


ももたろう

 五月五日は子どもの日だが、兜や鯉幟、金太郎に桃太郎など、人形を飾って祝う端午の節句でもある。こんな日に親の願いを込め、物語も聞かせたい。
 数ある桃太郎絵本の中でも、絵も文も優れている。