1984年7月
「大人に面白くない本が、子どもに面白いはずはない」ということばがあります。本は子どもに与えるものではなく、親子が共に楽しむものだと思います。ですからここには、「何歳向けの子ども用の本」というのではなくて、幼児から楽しめる本、小学校低学年から楽しめる本、小学校高学年から百二十歳までの人に面白い本を選びました。はなのすきなうし
"むかし、すぺいんに、ふぇるじなんどという、かわいいこうしがすんでいました"で始まるこの物語は、各国の子ども達に、よく読まれている。
"うしとはいうものの、よくもののわかった おかあさんでしたので"などという一文が、この本を子ども達に読んでやっている人間のお母さんを、一瞬ギクリと反省させたりもするが、やさしい、きれいな日本語訳で書かれているので、その点でも、あやふやな日本語を使いがちな海外の子ども達に、安心して薦められる。繰り返し読んで聞かせるうちに、心に浸み込んでくる文章である。
輪郭だけの、すっきりしたローソンの絵も、かえって空想の広がりを誘い、コルクの木にコルク栓の実がなっていたり、木の幹にフェルジナンドの身長が刻みつけてあったり、という画家のいたずら心も、子ども達を楽しませる。ぜひ、原書も入手して、読み合わせてほしい一冊である。
もりのへなそうる
幼稚園に通っているてつたくんは、弟のみつやくんを連れて森に探検に行き、大きなたがもを見つける。翌日、また森に行くと、そのたまごから「へなそうる」という怪獣の赤ちゃんが生まれていて、ふたりは大喜び。ところが、へなそうるは、「ぼか、きのうのたがもじゃない」と言い張ってきかない。
舌たらずのみつやくんと、お兄さんぶっているてつたくんと、まだ何も知らないへなそうるとの三者三様の言葉のやりとりと繰り返しとが、読者を知らず知らずのうちに、へなそうるの世界に誘い込んでしまう。
背中にとげはあるけれど、さわってみるとゴムのように柔らかで、滑ると、おしりの下がすとすとっとするだけのかわいい怪獣へなそうると子どもとの触れ合いが、少しも不自然でない。読み終わるまでには、へなそうることばが移ってしまって、「ぼか、おにぎりまだ三つしか食べたことないな」などと言いたくなる。
モモ: 時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語
モモはどこからかやってきた浮浪児だったが、人の話を黙ってゆっくり聞く、という性格で、町の人々に愛されている。ところが、その町に灰色の男達が現れ、子ども達から遊びを奪って役に立つ勉強を強制し、人々をせきたてて、時間を倹約させては、その時間を盗んだ。皆は時間に追われて気づかないが、ゆっくり話を聞くことの好きなモモだけは、その異常さに気づく。時間のゆとりを失って死んだような生活をしている友達を助けようと、モモはカメに導かれて時間の国に入り、ようやく、人々に、盗まれていた時間の花を返してやることができる。
――時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子の ふしぎな物語――という副題のついているこの本は、大人が読むと、日本人が日本を諷刺して書いたのではと気になったりするが、子どもにとってはむしろファンタジーであり、読み出すと止まらない。
たなばた
七夕にはいろいろな話があり、このほかにも良い絵本が二、三でているが、最も知られている七夕ばなしの再話として、君島久子のものを選んだ。初山滋の絵も、色づかいがおだやかで優しい。